国宝展東京国立博物館のすべて2022に行ってきました!刀剣を始め東博が所蔵する国宝89件を全て展示!

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」です。第一部 「東京国立博物館の国宝」では、東博の誇る日本最大の国宝コレクション全89件。第二部 「東京国立博物館の150年」では、150年の歩みを伝える多様な収蔵品の数々。これら計150件を展示します。

国宝展2022の感想と解説!

雪舟等楊(せっしゅうとうよう)/ 秋冬山水図・冬景図(13)/ 室町時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

○槍玉に上げられるのは、中央に引かれた垂直の線です。しかしそれとは別に、導線は画面右下から始まります。この辺りは水面になっており、小舟が留めてあります。2本の枯れ木を背に、つばのある帽子の人物が石段を上り画面の奥へと導きます。

左手前には、雪におおわれた山の斜面があり、石段の先には楼閣がのぞいています。その右側には、雪の岩肌と樹木があります。これらが、ほぼ45°の傾斜でリズミカルに連なります。

渡辺崋山/ 鷹見泉石像(たかみせんせきぞう)(21)/ 1837年

岩肌上の樹木の1本は左上に幹を伸ばし、導線を背面の雪山に向かわせます。雪山は、右下方に湾曲する太い線で、左右に分けられています。槍玉の線です。

槍玉線の左側は、全て雪におおわれています。輪郭の中はわずかな濃淡がありますが、立体感はなく板を立てかけたようです。ここまで描いて、雪山に至り脱力したのでしょうか。

埴輪 挂甲の武人(けいこうのぶじん)(63)/古墳時代

右側は、縦横にテクスチャを構成した岩肌です。上部は槍玉線の左側から続く稜線が、うっすらと円弧を描きます。しかし、ほとんどは背景に溶け込み、いまひとつその形を留めません。

稜線上に引かれた、数本の細い線は樹木の幹のようです。しかし、槍玉線までをそう捉えるのには、遠近から考えてもスカイツリーを凌ぎそうで無理があります。

槍玉線は途切れ途切れになり、墨点をいくつも打たれて、ひょろひょろと天に向かいます。見れば見るほどです。

本阿弥光悦/ 舟橋蒔絵硯箱(69)/ 江戸時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

雪舟は、抽象画にしたのではないかとも言われています(驚)。言うまでもなく、雪舟の生きた室町時代に抽象画の概念はありません。抽象画の創始者は20世紀初頭に活躍した、ワシリー・カンディンスキーやピート・モンドリアンとされています。

雪舟ともあろうものが残した不明瞭な1本の線です。しかし、いつか、絵画史を塗りかえる概念にまで発展するかもしれません。

三条宗近/ 太刀 銘 三条(名物三日月宗近)(72)/ 平安時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

○刀剣は、その簡素な容姿とは裏腹に、多くの用語を伴なっています。図録の作品解説にある三日月宗近の項(p.299)の一文を読んでみました。

「茎(なかご)は生ぶ(うぶ)の雉子股(きじもも)形で、佩裏(はきうら)に「三条」の二字銘を切る。」

ルビはふってありました。刀剣の持ち手の部分は茎、刃部は刀身(とうしん)と言います。刀剣を短くするために、茎を切り詰めることを磨上(すりあげ)と言います。生ぶは、そうせずに製作当時が保たれた状態を言います。

雉子股形は、茎の先端から刃元にかけての盛り上がる部分を、雉のももの部分に例えました。

渡辺省亭(わたなべせいてい)/ 赤坂離宮花鳥図画帳(119)/ 1906年頃

太刀の刃を、下に向けて左の腰から吊るしたとき、体の外側になる面を佩表(はきおもて)と呼びます。刀工銘は通常、佩表となる茎の面に入れます。茎に銘を入れることを、銘を切ると言います。三日月宗近は裏側に切りました。

用語をやり過ごしても、あまたの刀剣がニアリーイコールになるわけではありません。語彙力が増すと目利きがアップデートしそうです。しかし、それはそれで刀剣の沼にはまることもありそうです。

鳥居清倍(とりいきよます)/ 市川団十郎の竹抜き五郎(132-1)/ 江戸時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

○東博の松方コレクションです。浮世絵版画は墨一色で摺られた墨摺絵(すみずりえ)から始まります、《短冊をもつ遊女》(132-2)。《市川団十郎の竹抜き五郎》(132-1)(上図)は丹絵(たんえ)と言います。墨摺絵にベースカラーを丹とし、緑色や黄色も加え筆で彩色しました。

《初代尾上菊五郎と初代佐野川市松の二人虚無僧》(132-4)は紅摺絵(べにずりえ)です。紅や草色など2、3色を筆ではなく版を重ねて摺りました。

《ささやき》(132-5)は錦絵(にしきえ)です。紅摺絵をさらに発展させた多色摺木版画で、浮世絵版画の完成形とされています。

国宝展2022の図録をデサインマニアが分析!

○表紙のデザインは、唐草模様の一種で奈良・平安時代に用いられた宝相華(ほうそうげ)です。私は、いずれかの国宝の装飾から採ったものと思いました。

しかし今回は、染色や建築のように広い平面を持つ出展はありません。古今和歌集の唐紙もちがいます。博物館本館1階の庭園側に面したラウンジの壁面をおおうモザイクタイル(下図)からでした。

図録の模様は5段組に組まれていますが、ラウンジは3段組みです。表紙の掲載を機に増殖されました?

本編の扉には、この模様の上部のひとつが1ページに、見開きでふたつ並べてあります。単色ですが、拡大してあるのでモザイクと分かります。

目次には、表慶館(下図)のドーム型の天井を、中から見上げた様子が用いられています。最後の見開きに、上記の模様が今度は中ほどを拡大して再登場します。

○見返しには89件の国宝が、パッチワークのように並べられています。表見返しは絵画が25と書跡が24の49件。裏返しは金工が1と刀剣が19、漆工が4と考古が5、加えて法隆寺献納宝物が11の40件です。端数を隙間なく収めました(驚)。

○各章の扉です。第二部・第一章「博物館の誕生」は、湯島聖堂旧大成殿(たいせいでん)の外観です。東博は1873(M2)年に、この地で開催された博覧会を機に誕生しました。その後、1882(M15)年に上野公園に拠点を移します。

第二章「皇室と博物館」は、東京帝室博物館正門に門標も添えられています。1886(M19)年に、博物館の所管は宮内庁となりました。1900(M33)年に、帝室(皇室)の威光を示すため帝室博物館と改称されます。

普賢菩薩像(3)/ 平安時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

○作品の図版には全体像に加え、部分拡大も多用されています。《普賢菩薩像》(2)は冠と顔面です。しかし《孔雀明王像》(3)(上図)は、孔雀の頭部から首と明王の右足の脛(すね)がトリミングされています。脛に描かれた幾何学模様に視点を定めたものと思われます。

地獄草紙(7)部分/ 平安時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

『地獄草紙』(7)(上図)の炎と『餓鬼草紙』(8)の餓鬼は、別々の作品ですが部分拡大が対向ページでありました。展示期間ではなかったので、実物を見ることができなかったのが心残りです。

狩野永徳/ 檜図屏風(15)/ 1590年


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

《檜図屏風》(15)(上図)と《松林図屏風》(16)(下図)も対向ページにあります。これらは観音開きになっており、それぞれ2ページで全体像を見せています。

長谷川等伯/ 松林図屏風 右隻(16)/ 安土桃山時代


出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)